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MasagoKazyoshi @MasagoKazyoshi@pawoo.net

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Night C1 EuroMix youtu.be/gneoB5I_AfA @Youtube
首都高をぐるぐる走り回る映像を、ユーロチューンとともに。

じゃあ何を云えばいいんだよと思ったことについては、口を噤む生き方。

ストレートコーヒーをストロングに淹れるだけが旨いコーヒーというわけでは断じてない。何事も中庸というものがある。

嘲ったり侮ったりする方向でのマスコミ批判なんてものは批判の体をなすものではない。マスコミを批判したいのであれば、彼らもまた報酬働きの職業人であるという当たり前のところをちゃんと弁えておくべきだろう。月給なり歩合給なりをせしめるに当っての職業的工夫という物を彼らがどう捉えているか。

倫理や道徳がなぜ存在するかといえば、一般にそれが足りないからだ。商道徳、職業倫理、つまるところそういうことであって、そうであるならばまさしくお互い様なのであるから、彼らに対して眉に唾をつけることぐらいは、何も間違ったことじゃない。何を以って正確な情報と自分は定義するか。

ジャーナリストだって職業であるから、当然の事ながら職業人には勝手知ったる楽の仕方なるものも存在しているのであろうし、結局そういったこと丸々納得した上で是々非々の情報の取捨選択とやらを消費者は心がけねばならぬし、それはある意味大いに健全なことでもある

そこまで圧縮したら本質みたいなものが仄見えるかもしれないなんて言う野暮はおよしよというやつで、要するに都合のいいところをかいつまんでアレするわけだからお金になるのだ

1時間の取材が3分にまとまるからマスコミってのは仕事になるわけだが。1時間の取材が1時間垂れ流しでは、1日24時間しか無いのに仕事のしようがない。

大脳小脳間脳だのなんだのかんだの、進化の過程でそうなってるんだから仕方がないにしても、余りにセントラルコントロールでリスキーな配置ではなかろうかとか何とか。

脳みそという物も随分と不思議な器官であるが、所詮人の頭蓋骨の中に一つだけ詰まっている内臓である。疲れれば疲れるし、調子が良ければ調子がいい、現金な内臓である。

見たい知りたいコンテンツだからといって、興味のないところ、闇の部分まで見聞きしなきゃいけないことはない。そういうものに触れそうになったら、そっと目を閉じるのだ。「俺はそんなものは知らない。楽しく生きて何が悪い。」

文化という原野に生息する野生動物がヲタクという生物種だ。

都会住民の底意地の悪さと浅ましさは、都会住民自身がよく自覚をしているところであろうけれども、田舎には田舎の排他意識と不親切さに基づく愚かしさが存在するのであって、所詮どこへ行っても経済的には地獄。 #住めば都とは能く云ったものだ

今に始まったことじゃないが、都会住民は不景気が好きである。有限の都会リソースに与る既得権益を守るためには、田舎者に割り込まれては困るからだ。口で景気が良くなれと叫びながら、身体は正直に足を引っ張り合う。なんとも麗しい話ではないか。

書くということとタイプするということは、似ているようでいて完全に違う。文字を書くというのは、全くの形而上から文字を引きずり出してくるという行為であるのに対して、タイプするということは、文字自体それは最初から在り物の借用なのである。

電子書籍サービス「Digital e-hon」が終了へ 7月末を最後に購入済みコンテンツもほぼ閲覧不能に - ねとらぼ nlab.itmedia.co.jp/nl/articles @itm_nlabさんから
「本質的に読書不可能性が存在している」サービスに、よくぞ金を突っ込んだバカタレ共。

まあしかしながらそもそも何か纏まった文章を手書きで原稿用紙にしたためるといった経験を、近頃頓としていないので、今更正書法云々と言ったところで、僕自身それを日々励行しているとは、とても言い難い。

章の区切りは一行空け、行頭一字空けである。「区切りとして重複表示であるから、章の行頭一字空けはしない」という意見は、それはそれで拝聴させていただくが、章というものの役割を考えた場合、区切りの意味は強調するに如くは無しと心得ているので、僕は学校教育通り行開け+一字空けにしている。

組版の世界ともなると、行末約物やら禁則処理は強いか弱いかやら、やたらとテクニカルな些事が増えるけれども、それでも組版の源泉は日本語の正書法に有る。ただし、「その時点で適切な判読が出来るように」という条件にそぐわなければ、正書法からの逸脱は許容される。

小学校の時分に「段落っていうのは、そこが一文字空けてあることで段が付いているからそうやって言うんだよ。段落の役目は、言いたい事の纏まりを作るという事だから、一文字空けて『ここから言いたいことがちょっと変わります』という目印にするんだよ。」というふうに習った。

正書法と組版は似て非なるもので、綺麗な組版が時として正書法に悖るものになっていても、そもそも方法論の出自が違うのだから、あまり咎立てするものではない。…そうは言ってもやはり乖離があると、読みづらく煩わしい感じがひしひしとするが。