エイリアンはやっぱりすごいよ。

鉛筆画「アオレンジャー」
汚れた心を捨てれば青く見えてくるよ。
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PlayStation®4と言って硯なんだが、ボケならボケでかなりムカつく。
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あ、こっちはそうでもなかった。

どいつもこいつもマストドンのネタが好きだねえ。

これから運転だから晩酌もできやしねえよ。

うちの母親がツムツムのぬいぐるみだと送り付けてきたもの。 pawoo.net/media/NtdYExO1JHSvfN

シン・ゴジラのヴィジュアル公開直後に描いたシン・ゴジラ。
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鬼太郎の目が片目になったのは墓石にぶつけたから。その墓は水木しげるの墓。覚えておこう。試験にでるよ。
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蜘蛛嫌いだが蜘蛛ものの作品は大好きで、例えばクリント・イーストウッドも出演した『世紀の怪物タランチュラの襲撃』(’56)から所謂「お馬鹿映画」と云われる『ジャイアント・スパイダー大襲撃』(’75)、そしてスティーヴン・スピルバーグ製作総指揮の(Arachnophobia=蜘蛛恐怖症という言葉を知った)『アラクノフォビア』(’90)。『スパイダーパニック』(’02)では大量の大蜘蛛に鳥肌を立てながら観てしまうくらい。映画ばかりではなく、スティーヴン・キング(彼も大の蜘蛛嫌い)の『IT』や、先の『耳嚢』における大蜘蛛の怪異や『平家物語』の「剣巻」等、読み物にも目を通さねば気が済まないのも私に課せられた業のひとつ。『耳嚢』の蜘蛛は一尺、『平家物語』の蜘蛛ときたら四尺、それを想像しながら読むにあたっては、全身総毛立たせ、読み終わった後も暫くは眠りにつけない。そういえば『ゲゲゲの鬼太郎』のテレヴィ・シリーズ第2期(’71)15話の「牛鬼」(実際には蜘蛛の妖怪ではないが、その形状から私には蜘蛛を連想させられてしまった)はこれ以上に無い程に蜘蛛の恐怖を植え付けさせたものとなっている。恐怖は悦楽なり。

荘子は「怪力乱神を語ら」ぬはずの孔子を皮肉っていたのかいざ知らず、罔両と景(かげ)と問答をしたと云う。景は人の影として捉えればいいとして、さて罔両、これが一向に捉え処が無い。無論「かげ」だと言うのだから捉え処が無くて当たり前なのだが、こちらでは水神、水の怪にであったり、あちらでは女神かと思えば死人の肝を喰らうモノであったり、その孔子のお陰で妖怪の総称になったりと、混乱することこの上ない。荘子のこの逸話を読むよりは鴨長明の『方丈記』を読むほうが私の心には染みとおるし、何より魍魎のことなど考えずに済むから、混乱することもない。ピーターパンに読んで聞かせてあげたいが、おそらく聞く耳を持たないだろうから、糠に釘、否影に釘である。影女には魍魎とは違った捉え処の無さがあり、それ故怖さが殊更に増す。水木しげる御大の『【図説】日本妖怪大全』には「男だけで暮らしていると、その家に『影女』がすみつくことがある」とあり、差し詰め「男寡に影女(かげ)が憑く」と言ったところ。そして「影で見られるものだから、実体でとらえるのはむずかしいようだ」と〆ている。その図には白髪の老婆が描かれていて、これはこれで恐ろしい。

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