イントロ
そそり立つビルを見上げて煙を吐く。言うほど階数のないビルだが、溝鼠色に沈んだ段差に座って見上げる空は遠い。鼻腔に絡む生ゴミの臭いも相まって、閉じ込められ自由を奪われた人間にでもなった気にさせられた。
実際のところ、ランサーはバーの店員であり、仕事は休憩時間を合間に挟める程度の余裕があり、給金は悪くない。辞めようと思えばいつでも辞められる。
妄想と灰で舌を湿らせる。チリリ、と煙草の先端が赤く燃える。
吸い終わって腰を上げた。三店舗共用の灰皿は広場の中央に置かれている。灰はコンクリートに落としたものの、吸殻は、バケツに網をかぶせただけのそこに落とした。目の大きな網は被せておく意味があるのかといつも思う。
鉄が悲鳴を上げた。
コの字に向き合う扉の一つが開く。
小洒落たレストランの裏口から、白いコックコートを着た男が現れた。
「作ってもらっていながらひどい言い草だな。そちらのシェフに同情するよ」
ランサーの右斜め前に立った男が頭を振る。コックコートの下に隠された厚い胸が上下した。でかいため息だ。
「同情するなら客にだろうよ。シェフはオレだぞ?」
口に入れる寸前のスプーンを止めて抗議。だいたいシェフってなんだ、うちをお前のところと一緒にするな。
店舗数の増加を目標にしたチェーン店はコスト削減のために仕入れの統一が基本であり、出すメニューも決まっていた。当然、作り方にも仕様書がある。
まかないも、本来ならば賃金に相当するものであり、いくらか払う必要があると聞かされていた。今の店長はルールを厳守するタイプではないおかげで助かっているが。
「ならばマニュアル作成者に感謝するんだな。ナイフを握ったことのない人間でもまともな料理ができる。すばらしい企業努力じゃないか」
「口の減らねえ」
「褒めてもデザートはないぞ」
「ほめてねーよ」
それともいらないのか、と伸びてきた手から、ランサーは皿を庇って遠ざけた。トマトの赤いスープに米と野菜が覗くリゾットはまだ半分も減っていない。
褐色の指が空気を握る。
「……餌付けをしている気分だな」
「おう、ケンカなら買うぞ」
食い終わったらな。