そもそも天皇制廃止だとするならそれ「憲法改正賛成なんですね」となる
日本国憲法って1割天皇陛下の扱いについて記載されてて「サヨクは憲法守る言っている」
思い切り矛盾してる
サヨクと陛下は大体考え方一緒だ。護憲でないと許さんいうてぶんなぐるアホしかいない
天皇制廃止を訴えるサヨクってほとんど一部だろうしんなのほぼ聞いたことはない
今の物言いというのは対立ではなくて、模索と選択に他ならないわけで、もし誰が敵なのかといえばそれは私達の先祖がつまびらかにしてくれてきた「我慢弱い」――通史で明らかなこの種類の連中――に誰が居るのだろう。そしてリアルタイムコミュニケーションが前提の社会において「調練」されているホモ・サピエンスこそが現代人なんであると考える。
しかし、もし現代の「ユマニスム」を形作るものが、そもそもその種の詐欺や嘘の類であるとするなら、それを暴いてやったからこそ次の世代を握るべきかどうかの正当性や義に能うるかといえば、必ずしもそうではないだろう。過去は過去でしかない。我々は、いや「私達」は未来を見つめるべきであって、虚実の中にこそ可能性というものが常に存在していた歴史こそを「振り返って」観るべきだろう。この点で言うとある種の復古や回帰を主張する層とは主張のレイヤーが重なるのである。
ただ、唯一見るべきものがあるとすれば、それは「法螺の質」に他ならないだろう。幸い今はSNSが全盛の時代であり、「エモさ」が求められる時代であるわけだから、口の巧い連中がなんとかかんとかやるかもしれない、という程度のもの。これをどう見るか。結局のところ、教育水準の差がそもそも人類自体に越えがたい「プレイヤー」かそうでないかという階級闘争の不毛地帯を露出し続けていくだけであろう。我々はさも「自覚的」であるかのように仕込まれ、裏切られ続ける。
なんで天皇制廃止を訴える左翼が多いのかというと、この点を変革したいからに他ならないわけで、しかしそれは間違いなく闘争の道である(と考えざるを得ない) この袋小路から脱する為に言論(Press)でもって改めて大衆にターゲットになんとかしていこうという運動と、我慢弱い人間の性に基づく暴力によって台無しになるルート、間違いなく後者の方が可能性は高い。左翼はますますカウンターパートとして見放されてしまうだろう。こういう状況で「私は左翼です」と言ってのける人はホントの馬鹿か単なる法螺吹きでしかない。
誰もが暴力に訴えることを悪だと考えていて、この点が良くも悪くも本邦において「革命」という概念がいつまでも輸入品であり続けることを証明しているし、今後数世紀もそれは変わらないだろうと思う。三島由紀夫は日本を別の国になってしまうと評していたが、この点で言うと日本は「変わらない」というより、「変われない」のだ。
便秘が治らないので困っています。 header image by Giuseppe Milo https://goo.gl/egJ732