【0020】立方体 

 その部屋にありったけのちいさなちいさな立方体を掻き抱くと、少女は円を描くようにしてその場にうずくまった。そうこうしているうちにも、ちいさなちいさな立方体は、ますますちいさくちいさくなっていく。いったい誰が知るだろう? この立方体こそが、少女の愛した少年の末路であると。なるほど、彼らは確かに未熟であった。特に少年は、未熟さゆえに、よりいっそうの密度を獲得することを自分に求めた。だからと言って神様、これは、後ろを振り返った人間を塩の柱にしてしまうよりもむごい御業ではないですか。

【0019】 

 にこやかに白い歯を見せながら、白状をついて横断歩道を渡る豚には、決してクラクションを鳴らしてはいけないのです。あなたの居場所がばれてしまいますから。どうぞかわりに、やすものでいいので、真珠を投げてやってみてください。とたんに豚の目がぎらりと輝き、その歯が鋭くとがり出し、彼らが実は、豚よりもよほど狡猾な、鰐といういきものであることが知れるでしょう。

【0018】 

 砂糖漬けのすみれをリスのように頰張り、こんぺいとうを次から次へと口のなかへ放り込む。ピエール・マルコリーニ、ジャン・ポール・エヴァン、デュバイヨル。どれもみんな齧ってとければ「おしゃれだったチョコレート」。クリスピー・クレーム・ドーナツを丸かじりにして、ごはんを掻き込むように、器を持ちながら千疋屋のパフェを丸のみにする。マスクメロンも食べる。紅ほっぺも食べる。フィリピンから空輸した高級なマンゴーも食べる。苦しくて涙がこぼれてくる。その涙が、マカロンのとなりに並ぶくらいに甘くなるまで、わたしは甘いものを食べつづけなければならない。わたしの体が破裂して、わたしのソーセージすらも、パティスリーのショーウィンドウをにぎやかすくらいに、わたしは甘いものを食べつづけなければならない。わたしはわたしを満たしすぎることで破壊したい。そうして、誰よりもなめらかな口どけのお星さまになりたい。なぜだろう、わたしはそういうふうに生まれついて、そういうふうに生きてきた。

【0017】 

 五線は音符を抱きしめる。奏でられるメロディよりもよほど確かなものになれたことを喜ぶように。けれども、ああ、もう決して離さない、という言葉はなんと脆くはかないものだろうか。愛を。キスを。それでも、それだけではとても足りない。いったいどうすればいい?
 祈りと呪いはどちらがより強いものだろう? ふっとそんな考えが五線の心臓の中をよぎる。呪いだ。その答えは、五線の中の魔女の素質を呼び覚まし、みるみるうちに、五線の皮膚を棘で覆う。棘は音符に突き刺さり、音符はちいさく悲鳴をあげるが、五線は意に介することができない。棘はあっというまに紙の上を覆いつくし、誰も立ち入ることのできない荊の城となる。そのときにはもう、五線も音符も死んでいる。鴉がカァカァと鳴き、蜘蛛が暗躍し、百年後には、誰もその来歴を知らない荒れ果てた古城となる。 

【0016】 

ひとりの男がピアノを叩く。その調律はすっかり狂っていて譜面通りの音が出ない。べつの男がトランペットを、またべつの男がギターを、またまたべつの男がオーボエをそれぞれかき鳴らす。けれどもどれひとつとして正しい音の出る楽器はない。狂った音を奏でる楽器が鳴り続ける。楽器を携えた男たちはブレーメンの音楽隊を構成し、家々を尋ね歩いて寄付を募るようになる。正しくないというのはしばしば不憫なことだから、男たちは聴衆の関心を惹き、彼らの懐は温かくなる。温まった懐で、男たちはジャズ・バーを開店し、そうして今日も狂った音が町の片隅で鳴り響く。

【0015】 

 偶然立ち寄った花屋で、炎の花、というのを見つける。鉢植えだが、当然、水をやることができないので、切り花程度の寿命にしかならないらしい。花粉のかわりに火の粉をまき散らし、それが受粉すると、「火種」と呼ばれる種子を結び、煎じて(どうやって?)飲むとアッパーな気分になれるとかいうことだ。試しに一個買って帰ろうか、とも思ったが、よくよく注意書きを見ると、「危険物に該当するため、公共の交通機関を用いて持ち帰ることは、これを禁止する」。残念。

「アンディとフランク」の元ネタは、もちろんこちら yowapeda.com/ になります。

【0014】アンディとフランク 

 あるところに盲目の青年がいて、見えない眼のなかに一匹ずつ、芋虫を飼っていた。右目の芋虫をアンディ、左目の芋虫をフランクと言い、二匹は青年に愛されながらすくすくと育った。あるとき、目を開けた青年は、いつもと様子が違うことに気がついた。芋虫たちが蛹になったのだ。その日のうちにアンディは羽化し、うつくしい蝶になる。すると、不思議なことが起こった。なんと、青年の右目が見えるようになったのだ。片目が見えるようになった青年は、貪欲にも、もう片方の目にもおなじことを期待した。否が応にも、青年はフランクの羽化を待ち焦がれた。青年は眼球をつついてフランクを促した。はじめは瞼越しに、続いて眼球を直にノックして。けれども、うんともすんとも言わないフランクに業を煮やした青年は、とうとう辛抱たまらず、ふとん針で己の目をつつこうとし、誤って眼球を貫いてしまう。あわれ、フランクは串刺しにされて死に、青年の左目は、もう何があろうと二度と開くことがなかった。

【0013】(再掲) 

 わたしの頭の中には踏切がひとつあって、いつも赤い警告音を鳴らしている。なにか激しい怒りや後悔に駆られると、カンカンという警告は大きくなって、だからそれは、踏切の形をした、わたしなりの歯止めなのだろうとずっと考えていた。
 あるとき、何もかもが嫌な、やけっぱちな気分になって、わたしは遮断機をくぐり、踏切のなかへ入って行った。そうして線路上に横たわった。目を閉じる。自殺をするよりは、それはましなことのように思えた。カンカン、カンカン、踏切が立てる音が大きく響く。その音が、確実にさっきより大きくなっていく。
 そのとき、ふいに頭の下に激しい振動を感じ、わたしは跳ね起きた。いやな予感がしてあわてて遮断機をくぐる。と、わたしのすぐ背後を、ものすごい勢いで電車が通り抜けて行った。
 わたしが頭の中で電車を見たのは、後にも先にもこれっきりのことだ。頭の中で、あんなに冷や汗をかいたのも。
 わたしは気づいた。あの踏切はわたしの心の中にある。けれども、わたしの心の内部装置ではない、外部装置――いわば「罠」なのだと。

 以来わたしが踏切に近づくことはない。

【0012】ひかるけむり 

 そのとき付き合っていた男は四十歳で、重度のチェインスモーカーだった。ぼくの健康など一顧だにする様子もなく、いつでもどこでも紫色の煙を吐き出していた。もちろんキスをする直前にもだ。彼は深く煙草を吸いこんだあと、ぼくを手招きし、ぼくの口のなかにけむりを吹き入れるのが好きだった。そうすると、『酸漿みたいに薄いお前の皮膚の裏側が、煙の光できらっきらに光って見える』のだそうだった。人生をいかにも楽しんでいるような彼の笑顔は、幼かったぼくには、嫉妬の対象にすらならなかったけれども。
 やがてぼくは彼と別れ、二十歳を過ぎ、煙草もときどき嗜むようになる。『きらっきらに光って見える』仕掛けもわかった。ヤニで目が痛くなって、視界が涙でうるむせいだ。分かってみればなんということはない。でも、彼から与えられた「夢」をときどき思い出しては、ぼくは鏡の前で煙草を吸ってみる。もうその顔すらろくに思い出せない男なのに、なぜだろう、記憶というのは不思議なもので、彼の声だけは年を重ねるごとに大きくなっていくような、そんな気持ちになりながら、ぼくは煙を吐き出すのだ。

【0011】 

 ひとびとが自然美に対する関心を失っていることに逆上した春の神は、背負っていたリュックサックをその場でひっくり返し、その中身をぶちまけた。さくら、ミモザアカシア、チューリップ、木蓮……ありとあらゆる花が、道路のうえにあふれかえる。けれども、ひとびとはもはや自然美に対する関心を失っていたのだから、群がったのは、花言葉を信仰するものばかりだった。春の神は落胆し、もう二度と世界に花が咲くことはなかったが、だれも気にも留めなかった。

【0010】 

 真夜中の公園。鮫の腹のようにほのかに発光する街灯の下には、いくつものグレープフルーツが転がっている。おそらく、急ぎ足の誰かの紙袋からこぼれ落ちたものだろう。カラスにつつかれたのか、冬の陽ざしの色をした果肉をあらわにしているものもある。
 幼い子供が木馬を揺らす奇声が、ときおり公園のなかには響く。もちろん真夜中だから、どこにも子供の姿などは見えない。木馬のなかでは、軍人たちが息をひそめていて、戦争の夜明けをひそかにひそかに待っている。もちろん、あなたはそのことを知っている。
 自虐的な砂場に腰をおろせば、ゆっくりとあなたは、崩落の一途をたどっていく内省へと埋まっていく。あなたの指先が砂を徐に掻き分ける。その中にいつか、あなたはしっかりとしたものを摑むのだろう。そのときまでは泣けばよい。

【0009】 

 わたしが死体のふりをはじめると、とたんに小さなペンギンの子供たちがやってきて、ばっさばっさとわたしの上に枯枝を放り投げはじめる。おそらく、巣作りの練習をしているのだろう。周囲を行くひとたちが、微笑まし気に、わたしたちを見守っているのがわかる。これでは死んだふりをしている甲斐もない、というものだ。 

【0008】

 バスを降りたあなたは、珊瑚を路面にならべている子供たちの脇をすり抜けると、足早に別荘地を目指して歩きはじめる。がらんとしたレンタサイクル屋の前をとおり、路上に駐められた車を抜き去り、あなたの鞄のなかでは、免許証と、冷たいマンゴジュースが入ったタンブラーが揺れている。
 あなたの掌のなかでiPhoneが五度ほど振動する。あなたはいらいらしながら、紫色の二酸化炭素をすっすっと吐き出す。あなたの長い髪が、空気の熱と絡まって、頑丈な三つ編みになる。
 ふいに野太い腕をもった風がやってきて、タマリンドの木を揺すると、太陽がびっくりしたように逃げて行って、夜がやってきた。とっぷり暮れた空を見ながら、『ああ、面接には、もうこれで間に合わないだろう』、そう考えてあなたは絶望する。

【0007】

 つづきのない本を読んでいる。つづきがないのだから当然おわりはない。おわりがないだけではなく、はじまりもまた、なかったように思う。つまり、いつからこの本を読んでいるのかわたしにはわからない。いつまで読みつづければいいのかもわからない。本を置いた瞬間に、どこからどんなふうにして読んでいいのかわからなくなってしまうように思う。なにせはじまりもつづきもおわりもない本なので。読むのをやめてしまうのが惜しいくらいにはおもしろい本なのだ。ページをめくる指が止まらない。

【0006】

 雨上がりのにおいにまじって虹が生まれると、いったいどこから嗅ぎつけてくるのだろう、それに群がる透明な小鳥たちがいた。すべての禽がそうであるように、小鳥たちはみな、肉食系の性悪な顔をしていた。事実、小鳥たちは、虹のうろこを啄ばみ、その肉を引き裂いてはのみこみ、舌鼓を打ってはまたどこへともなく飛び去っていってしまうのだ。斯様な事情によって、虹というものはすぐにこの世から消えてしまう次第であった。
 あるときひとりの人間が虹の袂を発見した。彼がそこを掘り起こすと、虹の頭が現れた。頭はしばらくのあいだは眠たそうな顔を隠そうともしないで人間を見ていたが、やがてゆっくりと鎌首を擡げると、ものすごい勢いで自分の体の輪郭をむしゃむしゃと食べている小鳥たちに向かっていき、それらを一網打尽に飲み込んだ。虹はげっぷをすると、ゆっくりとその体を引きずっていき、すぐ近くにあった湖のなかへと消えていった。
 以来虹はずっとそこに隠棲し、あのうつくしいグラデーションを人間たちが見ることは、もはやない。

【0005】

 空からたくさんのピーマンが街に降ってくる。ぼくたち子供は、おちょこにした傘でそれを受け止める。下味をつけてよく捏ねたひき肉を、半分に切ったピーマンの中に詰めると、街の一番バッターのサリンジャーさんにたのんで、空に投げ返してもらう。次の次の季節がめぐってくると、こんどは脳みそがぎゅっと詰まったよく火の通ったピーマンの肉詰めが降ってくる、というわけなのだ。こんな賢い取引を考えたのは、いったい誰だろう。少なくとも、ピーマンでないことは確かだ。だって、あいつらはここだけの話、頭のなかみがからっぽだからね。

【0004】

 ああ、まただ。

 ……同性に恋をするたびに、決まって繰り返される問いかけがある。それは、「色とりどりの風船を、すべて自分の手で割ってしまうのか。それとも、結わえ付けられた紐から手を離して、空へと見送ってやるのか」というものだ。
 この問いかけからも明らかではあるが、不思議なことに、「かなう確率が限りなく低い恋」の主導権は、いつでも恋をされたほうではなくて、恋をしたほうが握っているように感じられる。なにもかもを自分で決めなくてはならない。それとも、それはただ単に、「この世でぼくはたったひとりしかいない」という問題の裏返しにすぎないのだろうか?

 何処までもどこまでも晴れた空に目を細める。目を閉じる。目を開く。
 それでも、色とりどりの風船を一度でもこの目に焼き付けられたことは、確かな幸福なのだ、と思いながら。

【0003】

 壁に架けられた、絵のような世界。冬の日の心臓のように、すべてのものが息を殺している世界。それはそれでひとつの幸福だったのに、山盛りのいちごを砂糖漬けにしたのが間違いだった。いちごといちごシロップの境界線は徐々に肥大してゆき、ひとつのヴァギナを象る。「いちごが崩れ落ちる」だなんて、なんというメタファーだろう。おさない少女は母になり、母は子を産み、そこから世界のひりつくような崩壊がはじまる。

【0002】

 世界中のどこにでもあるようなコンビニで、わたしはチュウブを探している。ひとくちにチュウブと言ってもしょうがのチュウブなのか歯磨き粉のチュウブなのかはわからない。店のなかをさんざん探し回ったあげくに、レジ横の什器のなかにみっしり詰まっているのを発見する。おそらく、季節ものなのだろう。店員の顔も見ずに受け取る。
 コンビニを出たわたしは、家に着くのも待ちきれずに、すぐにそのチュウブから、チュウブの中身状のものを押し出す。チュウブの中身状のものはこなみじんにした水晶を水あめ系のねばりで溶いたものでできていて、舌に載せるとほのかに熱い。そのわりには儚く、「みるみるうちに」などと言う余裕もなく溶けてしまう。わたしはむちゅうになってチュウブの中身状のものを舐めつづける。そうすると、すぐにチュウブはからっぽになってしまい、世界中のどこにでもあるようなコンビニの煌々としたあかりに照らされて、わたしはかなしい。

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