丁 一褌  @e16ai@pawoo.net

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漢なら丁、これに尽きる

パクりを防ぐためにトラップを仕込むこと自体は、イクサ人として、まっとうな戦術である。

ただ、
某元共同共同代表の若気の至りは、
「トラップ」として「嘘」を混ぜたと口を滑らせたところにあるだろう。

情報の信頼性を売りとする者にとって、信頼性の高さこそが自己の存在価値であるところを、己の価値を下げる「嘘」を混ぜるのは愚策である。

田中軍令部長の采配から何を学んだのか。

解る奴、確かな奴らには正しく理解できるものの、
ヨクシラが喰いついた場合は、自ら誤解して爆発四散するような少しだけ...謎の言葉遊び

これをイクサ人は、「トラップ」と呼ぶ。

流石である。

「艦これの新しい漫画」

この絶妙な言い回しを。

だが、あくまでも、産みの親は、アキラ、藤川。

育ての親も、アキラ、藤川。

讃えるべきは、アキラ、藤川。

検証共同の元代表が暴走した件につき、友情論を持ち出し自己弁護する者もいるが、待って頂きたい。

「お前が代わりにfit検証しろ」とまで発言しておいて、全くの第三者を演じることは無理があるだろう。

SNSにおいて、支持を再三表明した過去の発言を総合して判断すれば、

下手すれば、加害者。
下手しなくても、加害者。
拡散に寄与し、多数のフォロワーを持つ垢で世論形成の工作活動を行ったとして、
攻略wiki攻撃の片棒を担いだと推定されてもおかしくはない。

どんなに甘く処しても、全くの無関係な第三者としての友人の立場はとれないだろう。

なるほど、友情、人情、美しい言葉だ。

だが、ご存じだろうか。
牟田口廉也の鵯越作戦計画を無謀としながらも止めることのできなかった司令部に蔓延していたのが、「人情論」だっという故事を。

wikiにまつわる騒動アレヤコレヤの根本的な原因は、艦これが、人が育たないゲームになってしまっていることにあると思う。

「代わりはいくらでもいる」

この言葉はエグいが、
新規参入が継続し、適切な競争が行われ、次々人材が育ってくる環境ならば、
あのような人間性社会性の著しく欠いた輩に依存することもなかったのではないか。

「お前が代わりにfit検証しろ」
などという捨て台詞も吐けなかっただろう
(え、取って代わってヨロシカッタDEATHか、という塩梅だ)。

特定の個人に依存しなければ回らない組織や場は、その時点で危機的状況にある。

よどんだ水は腐るというが、
どのような組織や場も長く続くと腐敗する。

ヒトは愚かだ。

下からの突き上げ、横からのブチかまし、外からのにぎやかしによって、
はじめて緩んだアナルも引き締まる。

人を育てなかった我等、
小手先の簡悔に始終した運営
悔Cに関わったすべての者に、この敗戦の責がある。

逐電無用

櫓櫂の及ぶまで追う

頭というのは、下げる価値があるうちに下げておくものだ。

場と時期を逃すと、無条件降伏となる。

歴史から学ぶとはそういうことである。

確かに、「いいものを作れば勝手に売れる」などというのは完全に妄言。

費用対効果とアピールの仕方を考えることは極めて重要だ。

誤ったモノづくり神話が壊れたのが今世紀に入っての日本だと解釈できるものの、現状は均衡点を通り過ぎてきた感がある。

その象徴が、最近の耐震偽装だったり、少し前の五輪エンブレム、STMP姐さんだったり、するのではないか。

絵師の世界も同じ。
楽して得してみたいなことを突き詰めれば、ワンドロ、エアプ絵師になり、
半歩踏み外せば、トレースする、構図をパクる、どうやってバレないようにパクるか、みたいな事になる。

日本の絵師のすそ野は広い、
だが、なんとなく山体崩壊を起しているようにも見える。

艦これの次の5年は、「史実と百合」で逝って欲しい。
山時雨、由良張、しほづほ、あたりでいいんじゃない、である。
エアプの歴オタ、ミリオタも納得、お抱え絵師共も狂喜乱舞であろう。

ソースを失念したが、田中はフソヤマが推しらしい。

もうこの際、IF作戦など放棄して毎回イベはスリガオ、濡れ時雨、山雲のポンピングでもって、みんなでハイになろうぜ、だ。

ワシは全く興味ないが。
それしか、活路はあるまい。

アズレンを謎上げしていた人たちが何処へいったのか分明ではないが、
艦これのイキリ勢は、ドルフロをやり出したというのは、確かだろう。

「アズレンは、艦これを改良して」云々という解釈は、
一年前なら通用するかもしれないが、

両方を今なおプレーする身としては、まあ、エアプ的解釈だろう。

ターゲットとする客層、課金をさせる対象、ゲームの外へのかかわり方、開発運営の出自と興味の対象、どこをとっても異なっている。

どうしても比べたいなら、真逆というか対偶というか(それも正確ではなさそうだ)

似て非なるものになりつつあるというのが、今の感想だ。

「半年は続けたい」などと気弱な発言をしていたあたり、

「一年は暴れて見せましょう」と発言して開戦したかの大戦を彷彿とさせ、

そういう部分でも、艦これは
WW2の日本軍を忠実にトレースした硬派な歴史シミュレーションゲームである(ほめてはいない

世界に出ることが出来なかったという点では、艦これがまさにこれだ。

故人の感想だが、国境や世代を超えて愛されるDQFF他名だたる日本産のゲームに続くだけの資質は持っていたと思える。

しかし、ドメステックなムラで、小手先の簡悔と少しだけ謎の言葉遊びに終始し(以下、い つ も の、で略)。

最初、田中は「半年は続けたい」と思っていたそうだ。

仮に、「この作品で、世界に討って出る」と想い、大言壮語を周囲と共有していれば...。

如月が沈むこともなかった、
(かどうかは知らないが、
ゲームとしての艦これのアレヤコレヤは「半年持つ」程度で設計されたものとすれば、見えてくるものもある(幻覚も可))

「天下を取る」などといえば、嗤われるような時代、
日本人は健全な野心を失った。

失われた20年の爪痕はかくも深いという壮大な噺である。

アニメへのヘイター共も、パヤオには舌鋒が鈍り、ディズ二一に至るとむしろ媚びる。
この程度が島国日本の自称活動家の限界だ。

バンクシーが如くディズニーまでをもおちょくり倒して、初めて世界に出ることができる。

「それぞれのペース」などと口先では言いながら、

「現在甲作戦攻略中の声優のタ二〇提督」だの「大漁旗を入手した声優の夕〇ベ提督」だのと、余計な枕詞をつけねば騙れない現状が、

すべてを物語っている。

限られたリソースのなかで、優先順位をつけ取捨選択する能力こそが「熟練」の証であり、「それぞれのペース」であると思うのだが、

残念ながら、運営を含め、そのような遊び方を提案出来る者は壊滅状態であるのが、
艦これの現在である。

創作にとって、各種考証はあくまでもリアリティを出すための味付けに過ぎない。

主客、主副、本末を転倒させてはならない。
書き手及び読み手は、何がしたいのかを思い出す必要があるだろう。

読み手書き手共に、創作の主題を愉しむのが目的である。

研究者(自称も可)は、色々と難癖をつけ煽ってくるだろう。

噺半分に流し鵜呑みにしてはならない。

学術論文が書きたいわけでも、
図鑑の挿絵が描きたいわけでも、
漫画小説でお受験お勉強でもあるまい。

趣味者の本懐を思い出さねばなるまい。
糞オブ糞のこんな時代、泥中に花を咲かせるのは我等しかいない。

行き過ぎた「指摘」や半可通の「指摘」に、
Twitterで盛んな「炎上商法」が加わったとき、
文化をゆるやかに殺すのは、最近のキヅナ○○騒動を見ても解るだろう。

紳士諸兄にとって、「現実の胸はこんな形をしてない、ありえない」などという半可通な戯言は、笑止千万以外のなにものでもないだろう。

古今東西、「ありえない」ものを創り出すのが、創作が創作たるゆえんである。また、過度な誇張も絵の型の一つである。

デフォルメとかご存知ないのだろう。
小学校あたりで習わなかったのだろうか。まずは、ピカソあたりの批評から「や ら な い か(AA略」である。

いやいや、そもそも、本当に「現実の胸はこんな形をしてない」のだろうか。

ラップなんちゃらというマニアですら吃驚するジャンルを検索する能力があれば、現実に存在する「こんな形」の胸をテラペタのレベルで保存できるだろう。
とんだラッパーである。

いやしくもラッパーなら
「フェミ二ズム イズ デッド」くらいの熱いパンチラインを繰り出して頂きたい。

軍事、歴史と指摘厨との関連性について、別の角度から見てみたい。

元来、軍事、歴史などの分野は当然のことながら事実が重んじられる。

特に、軍事などでは分野の性質上、適切な「指摘」は感謝され重んじられる。

SNSに目を転じよう。
2011年以降、twitterでは、「デマ」「トンデモ」との対決が色濃くなった。

れらの間違いを指摘することで評価され有名になっていった者も多い。

twitterにおいては「指摘」は評価の対象となった。

歴史の分野においても、司馬遼太郎を叩くことで有名となった歴史研究家を数名思い出さないだろうか。

「指摘厨」「誤用厨」「○○警察」というものがはびこっていく裏側には、このような時代背景があると考えられる。

研究者(自称も可)なら事実に徹するべきであろう
しかし、創作の世界において、行き過ぎた「指摘」はときとして害となる。

「俺たちはチャンバラが見たいんだよ」という時代考証をやりすぎてつまらなくなった時代劇を評した2chの書き込みのように、である。

知って壊す、知って捨てる。これが創作のカタチだと思うが、これらは過去のものとなった。

そういう意味において、「史実リスペクト」な運営によって贈られる硬派な歴史シミュレーションゲームが艦これである。

俺たちはリナエクターである。

「聞け我DA罪の声」
「私は改二なりたい」
「大海の仔」

ア艦これ三部作、十年後に公開予定である。

手間暇のかかる「ながら」周回ゲーという艦これの性質ゆえに、少し生活環境が変化すると、従来通りのプレーが出来なくなる。

ゆえに、人材が育たない。
「さあ、これから」というところの有能な提督達が、就職その他でブログやツイを辞めて行く。そんな光景をみたことがないだろうか。

艦これの宿痾でもある。

とあるブログに投げつけられた煽りコメント「初心者に攻略情報なんか教える必要はない。二年程度課金させて消えてもらうのが全体最適に資する」を思い出す。

運営の意図もおそらくこれに近い。