莉良 @bananacake@pawoo.net

▽薄らと瞼を開ける。ぼんやりと霞む視界が一番最初に捉えたのは深い青髪と、母親に似た優しい顔。「万里くん、おはよう」喉から発せられる声は完璧に男と分かるけれど、優しく包み込んでくれるような柔らかさがある。それだけで安心感を覚えた俺はにこりと笑みを返した。「ふふ、ご機嫌だね。たくさんねんねしたから喉渇いたんじゃない?」「みるく、のむ……」「うん、じゃあ作ってきてあげるね。いい子で待てるかな?」「ばんりね、いいこでまてるよ」「えらいえらい。すぐ戻ってくるからうさぎさんと一緒に待っててね」一人は寂しいだろうからと幸の作ったぬいぐるみを渡されて、ポンポンと軽く頭を撫でる。扉の閉まる音がして足音が段々遠ざかったところで、万里はようやく息を吐き出した。これは芝居と何一つ変わらない。赤ん坊のように何も出来なくなった振りをしているけれどそれは全て紬のため。自ら望んでこんな姿を相手に晒しているわけではない。口を塞いでいたベビー用品を外すと隙間から溢れる感覚に慌てて袖口で拭う。こんなことをしている内にいつか本当に心と身体が無垢な色に染められそうな気がした。まだ大丈夫。けれど、確実に影は忍び寄っていた。

▽千景が時折この部屋で赤ん坊のように甘えていることを他は知らない。みっともなくぐずぐずになって会話もままならなくなる。嘘のように聞こえるだろうけど本当の話だ。こうなってしまうのはストレスが主な原因らしいが、一体何がそんなに千景を苦しめているのか至には想像出来なかった。けれど、どんなに調子が悪くても朝起きた時には元の千景に戻っている。そのかわり自分が退行していた時の記憶は何一つ覚えていなかった。昨夜もスイッチが入った途端、舌足らずな口調で「ち、あさき」と何度も自分を求めてきたけれど、本人に話したところで信じて貰えないのがオチだろうから心の中にしまっておく。千景の可愛いところは自分だけが知っていれば良いのだから。隣から聞こえてきた微かに呻くような声に反応する。「あ、千景さん。起きました?」「う……んん……」いつもだったら直ぐに目を覚ますのに今朝は嫌々と小さく首を振った。何となく嫌な予感を覚えながら、至は布団の上から軽く体を叩く。返事の変わりに返ってきたのは甘えたような泣き声だった。「千景さん……?」「う……うぅ……っ……ちぁ、しゃ……」一度生まれたヒビが消えることは無いと分かっていたのに。