あやもり @ayamori@pawoo.net

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私のマストドンへの登録日は2017年04月23日(日) 20時50分18秒です。登録してから2年以上経過しました🎉 mastodon-birthday.herokuapp.co

わたしは例年、エイプリルフールに嘘をつこうと考えるが、どうしても誰かを幸せにできる嘘がつけないので、毎年何も嘘をつかずに過ごしてしまいます。とても恥ずかしい話です。

あれは相当昔の話になりますが…最後にエイプリルフールに嘘をついたとき、母から言われたのは「あなたって嘘をつくのが下手だよね。」でした。

新型コロナウイルスに感染すると、感染するだけで非国民かつA級戦犯のような扱いをする人が多く、それだけで恐怖を禁じ得ない。確かに怖いウイルスではあるが、感染すること自体は不可抗力もあるだろうし、街を観に行きたい人の気持ちは本当に激しくわかる。何故、平日に通勤をすることを許容し、休日のみは外出をするなと言い切れるのかわたしにはわからない。それこそ、平日に働かなくても済むくらい安心できるのであれば、平日に出歩かないし満員列車で通勤することもないだろう。

それだけではなく、新型コロナウイルスにかかるだけで、罹患してただでさえ辛い患者に対してネットの人はおもちゃの如く叩く風潮がある。新型コロナウイルスに感染したことは、第三者がその人に対して魔女裁判をかけて私刑を行なっていい理由にはならないと思う。

与野党の支持者がそれぞれ「野党は2月から色々とコロナ対策の話をした!桜やモリカケばかりだとデマ流すな!」「野党は話し合いをせずに桜とモリカケしかない!」と言い続けていたので、正直真偽が個人的に気になったので昨日から合計3時間くらい国会のログを国会のWebサイトから見ています。正直グロッキーです。

政治興味ない人間が読んだ国会ログは「与野党によるマウント合戦!確かに野党は2月からコロナの話題を出しているし話し合いに応じるが、同時に桜とモリカケの話が多い!」って結論でうーんこのって感じ。‬はっきり言えばどちらの主張も間違ってない。合ってるとも言えないけど。
悪魔の証明だけど、安倍さんは無実なら証拠を出して、モリカケも桜も野党から追及されないように黙らせればいいのに。こんなん無駄やんけ。証拠を出さないで否定だけだと安倍さんも追及されるの実は楽しいんだろうなとか思えて仕方がない(?)

 狂える中3女子ボレロ村上さん、話したことがないので、界隈の多いTwitterで言及するのは忍ばれるためこちらで記す。正直言って衝撃的だった。
 32歳の若さで亡くなったボレロ村上さんをタイムラインでちょくちょく確認したことがあったので、彼の言葉をよく見ていた。高校生の頃にTwitterで初めて投稿をみた時には、技術にも発言の力強さにも本当に憧れた。彼を見て本当に活動的で精力的だという言葉がよく似合う人だと思っていた。ただ、なんとなく私には彼はあまりにもフルスタックで活動していたからか、身体を労っている節を感じられなかった。
 色んな世界の素晴らしい人材が無茶をして、寿命を縮めているのをニュースなどでよく見ている。優秀な人が早くなくなるのはつらい。それもずば抜けた才能がある人が早く亡くなってしまうのは。それがなんだかとても虚しいし、本当にとても悲しい。
 我々は適度な状態を保ち続けないと死ぬのが早くなるのではないかと思う。勿論、こちらは自戒の意を込めて。

 現在世間で褒められている○○と比べて推しは最高に良いという伝え方は、推しの良さを表現できてないから○○を下げることで推しを伝えているだけであって、推しの本来の良さを伝えているというより、○○をdisっているだけでしかないのよな。
 推しを真の意味で褒めたいのであれば、推しを表現するにふさわしい言葉を知ればいい。ぴったりと当てはまる言葉のピースをつなぎ合わせれば、たとえ○○をdisらなくても自分の推しの良さを伝えることができるはずだよ。
 わたしが言葉を知って良かったと思っている点は、推しを褒める方法が他者disりから推しの本当の意味での良さを伝える方式に変えることができたからなんだよね。他者disりで推しの良さを伝える方法、発言者としてはとても楽なんだけど、その対象を推してる人にヘイトを溜めてしまう。
 なので、お互いの推しをそれぞれ大切にしましょうというオタク的な人との距離感としてはよろしくない気がしているぞい。オタ活はお互いの推しをそれぞれ大切にしてるのを見るのが楽しいと思うんよな。そういう美意識というのかな、そういう快い距離感を掴んでみんなでそれぞれの推しを愛でたいね。

日本の大手企業でGAFAに勝つぞ的論調をよく見るけど、GAFAの4企業を見ているとやりたいことやってたら世界でもずば抜けましたみたいなノリを感じるんだよな。
だからGAFAに勝つと思う内はGAFAに勝てなくて、やりたいことをやるぞと貫いたら良い気がしている。

5G→6G 社会の未来図(複眼):日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXKZO57216

句読点の使い方と文章構成の方法が知りたいな。最近、日本語を学んだ方がいいと思っているのです。わたしの奥底にある思考をもう少し伝えやすくしたいと思います…

僕は愚かである。そして、人があまりにも(自分にとって)知的であるときに激しい嫉妬心にかられるようであった。

自分に才能がないという自覚をするたびに、才能があるともてはやされている人たちを見ては、尊敬する心と同じくらい、自分の愚かさに対して恥じていく。そして、人の才能に対して嫉妬する。

才能がある人が何もしないで才能があるのではなく、努力を積み重ねた結果才能を見てもらえるようになったというのに、努力もしないまま僕は嫉妬をするのだろう。あまりにも愚かである。

相手が対象に誠心誠意謝ることを期待するより、自分がその出来事を受けた嫌な記憶やそういう被害を受けたこと自体を、自分自身を許せない状態を、自分が自分を許した方が早いし、心は癒されるのではないかと思う。経験則としては、こういう場合の加害をしてきた相手は、加害をしたという自分を許したくて謝ってくることが多い。いじめられたときに、いじめっ子が謝っているのだから許してあげなさいと言ってくる先生もいるけれど、心から許せないのであれば許さなくていい。そんな心に反したことをしたら、許せないことを許したふりをした自分自身を許せなくなってしまう。

誰かに期待して謝罪を求めるのは、それだけ相手と向き合わなければならないため、パワーを使うことになってしまう。そんな嫌な記憶に対してパワーを使う必要はない。

最後に自分を認められるのは、自分しかいないのだ。その自分を否定するのは、なんだかちょっとだけもったいない気がする。

理想の男性の画像を作ったけど、こんな男いねえよ!!!!!ってなった。 pawoo.net/media/ZgbX1Ffe6fgFzW

わたしが最近好きだなと思うのは「自分の弱さを認められる人」なんだけど、自分が自分の弱さを認められないから、自分の弱さを認められる人に対して恋をするのだろうかと思うと、なんだかちょっと情けなくなる。

最近「恋とはエゴなのか」と思った瞬間に、潔癖を発動して気持ち悪くなっている。そんな歳でもないのに。

本当は人に惚れたいのに、惚れることができないのだから悲しいねえ。自分に対してもしかして欠陥があるのではないかという気持ちになっているよ。

職場とかすごくみんな魅力的な人しかいないようなところにいるんだけど、誰に対しても恋い焦がれないんだわなぁ。ビジネスとして割り切ってるので、誰にも惚れないですわ…(というか流石にそういう目で見ないよねー)

これは何かの漫画、およびそちらに付随するアニメに対してのコメントなのですけれど、小説や漫画などの「創作」というものは、作者の人生以上のものを作ることはできないのです。故に、例えば歴史の偉人の名前を借りる場合、個人的な見解で恐縮ですが、その人の人生、葛藤、苦しみも借りて書かないといけないと思うんです。
だからこそ、名前を借りること自体はかなり難しいとは思います。創作をたまに書く程度のわたしのような凡人にはできません。しかし、それができるほどの創作できる方であれば……他の人の名前を勝手に借りるのであれば、その人に対してのリスペクト精神が必要だと思いませんか?
もし、私は歴史の偉人からキャラクターの名前を借りるのであれば、その人がどういった人間であるのか、文字から下調べします。小説、関係資料を読み込みます。そうでないとその人の人間味の解釈の不一致が発生するからです。
私は小説家が歴史に残っている理由は「葛藤の具現化」だと思っています。彼らは彼らなりに人生を悩み抜いて書いたのですよ。ストーリーの関係上致し方がないのかもしれませんが、それをなかったことにして踏みにじるのは正直に言って暴力的です。

私は一年間「わからない」に対しての思索をしたけど、私がそもそも「わからない」側の人間だから、わからないをなんとかするに対しての、まずは私がわからない側を脱却しないといけないという矛盾との戦いをし続けていた。

でも最近、私から見ればすごくできる同期も「仕事がわからん」と言ってて、その先輩も「何もわからん」って言ってるみたいだし、みんな分からないなりに上手くやってるのかもしれない。

‪個人的にですが、才能のある人は才能のある人のやり方をすればいいと思うのですが、才能のない人は才能のないなりのやり方があると思います。

‪わたしは才能のない側なので、「特別なもの」と比較して「これ」ができるよねと言われても、多分「これ」は一生かけてもできないでしょう。しかし、別の方法なら「これ」ほど美しくはないでしょうが、「これ」の目的と同じ「それ」はできるとは思っています。‬

‪だから、わたしは色んなものを並行して行いながら、最終地点として認められるであろう「それ」を探しています。正直なことを言うと「それ」はまだ見つかっていない(一年かけた某で見つけにきたけどやはり本気で探しても厳しいね…)ので、ああでもない、こうでもないと四苦八苦してるのです。‬

あー、わたしは一つに絞れないのは全部が好きすぎて、全部やりたいと思ってしまうのですね。全てが大切だし、わたしの中ではすべてつながっていることなので、自分の目標のためならこうして絞らないで時間をかけ続ける人生もありなのかもしれない。マルチポテンシャライトという言葉を見つけたので、この方面にして行こうかしら。
やりたいことってわたしの場合、興味を一つに持って行った時に見出せる何かなんだし。まあ、色々と嫌な経験しすぎた結果心の奥底では独身でいるつもりっぽいし、パートナーがとか子どもがとかないなら、時間は既婚者より持てそう。

この山場が終わったらコロナウイルスが消えてると信じてるし、普通に遊ぶんだ…