明曰香 boosted

「あれ、保健の先生は」
 声の方に顔を向けると、うちのクラスの雄一くんがいた。
「職員室だって」
「まじでか」
 私は上半身を起こし、ベッドに腰掛ける。
「怪我したの?」
 片方のひざに血が滲んでいた。彼はこくりとうなずく。
「鬼ごっこしてたらころんだ」
「よくあるやつ」
「そ、よくあるやつ」
 びっこを引きながら歩いてきた雄一くんは、患者用の丸いスツールに座ってこちらを見つめる。
「さっちゃんも怪我?」
「私は……」
 なんて説明したらいいか分からなくて、口ごもった。
 ときどき何もしたくなくなるときがある。そんなときに無理して教室に行くと、決まって具合が悪くなった。
「怪我はしてない、かな」
 曖昧に笑う。きっと説明しても分からないだろう。
「じゃ、心の怪我?」
 目を見開いた。心の怪我。
「うちのお母さんがいってたんだ。体だけじゃなく、心も怪我するって」
「……いいお母さんだね」
 膝手当してあげよっか。さっきよりも明るい気持ちで提案すると、彼はにっかり笑ってうなずいた。
「よろしくおねがいします、さちこ先生」

 はい、どうぞ。ブラックで良かったわよね? 熱くないからゴクゴク飲めるわよ。ふふ、本当に好きねえ。
 そういえばニュース見た? 無味無臭の毒薬が出回ってるんですって。一般人でも簡単に手に入る割に、効果は絶大なんですってよ。怖いわねえ。
 え? バカね、私が毒を盛るわけないじゃない。貴方にぞっこんなんだから。奥様もお子さんもいる貴方に。三男はもうすぐ小学校でしたっけ?
 あら、どうしたのとぼけた顔しちゃって。なんで知ってるのか? そうよねえ、私と会うときは指輪まで外してくる用心深い貴方が、たとえ寝言でも漏らすわけないものね。
 さっきね、貴方の奥様が訪ねてらしたの。そのとき初めて知ったわ。貴方が既婚者だって。奥様とっても優しい方ね。泣きながら謝る私を慰めてくださったの。貴女はなにも悪くない、悪いのは……。
 やだそんな顔なさらないで。私は怒ってなんかいないわ。
 さっき飲み干したコーヒーに毒をいれたんじゃないかって? さっきもいったけれど、私はそんなことしないわ。だってそのコーヒーを準備したのは、今も台所から貴方を睨んでいる、貴方の奥様なんだから。 


 自作の服を試着するときは、いつも恥ずかしさとの戦いだ。子供のころ書いたポエムを読み返したときのように、頬がカッと熱くなる。
「どんな感じ?」
 私の内心を知ってか知らずか、彼が無邪気に問う。
「出来は悪くない。夜空に星が散らばってるデザインの浴衣なの」
「へえ、きっときれいだろうな」
 彼は目が見えない。作品を見せられないのは残念だったけれど、仕方がないと諦めていた。
その考えが変わったのは、数ヶ月前。
私のデザインした服が小さな賞をもらった日、授賞式の帰り道で彼が呟いた。遠くで鳴る小学校のチャイムに埋もれそうなほど小さな声で。
「一秒でも視力が戻ったら、君の作品を見られるのに」
 そのとき決めたのだ。彼にも見える服を作ろうと。

 私より一回り大きな手をとる。
「触ってみて」
「うん?」
 浴衣の表面を撫でさせると、お、と声が上がった。
「星だ」
 貝殻を小さく加工したものや色んな形のビーズを、星に見立てて縫い付けてあるのだ。
「きれいだな」
 彼に抱きしめられる。温もりを感じながら、目を閉じた。
 いま私たちは、同じものを見ている。

「バターおかけしますか?」
 お願いしますと答えると、店員は慣れた手付きで黄金色の液体をくるりとかけた。手渡されたポップコーンのカップはまだ温かい。一つを口に放り込むと、ふんわりとバターの香りが鼻に抜けた。
 壁にはられたポスターを眺めながらスクリーンへと向かう。場内は甘いキャラメルの香りで満ちていた。
 上映時刻十分前を知らせるアナウンスがなった。チケットを半分にしてもらい、暗い劇場に足を踏み入れる。目的の座席はJの22。先客がいない限り、いつもここに座る。
 間接照明が消え、ひときわ暗い闇に包まれる。いよいよだ。期待感に胸が高鳴っていく──。
 
 映像はここで止まっている。触手を動かして装置を切った。
 かつてこの星に生息していた生命体の記録はほとんど残っていない。大規模な核戦争によって、生命も文化も失われてしまったようなのだ。唯一残っているのがこの、「映画」とやらを上映する直前までのVR(仮想現実)。
 第三複眼を閉じ、過去に思いを馳せる。
 生きている彼らと出会いたかった。そして教えてもらうのだ。映画というのが、どれほど楽しいものだったかを。 

「同じ高校でよかったな」
「ほんとだねー」
 本当はスカートじゃなくスラックスが良かったと言ったら、彼は引くだろうか。
 入学式のあと、担任を待つ間のそわそわした気持ちをごまかすため、前の席に座る同じ中学出身の彼と言葉を交わす。卒業式ぶりに着たスカートは、膝がむき出しになるから嫌いだ。
 彼が履くズボンから目が離せない。女子にもスラックスという選択肢があったらいいのに。今の季節はなんとか凌げるけれど、秋冬の冷たさは本当に堪えるのだ。
 うらやましいという気持ちを押し殺しつつ、作り笑顔でどうでもいい会話を続けていた。

「同じ高校でよかったな」
「ほんとだねー」
 さっきから彼女のスカートから目が離せない。かといって劣情を抱いているとかそういうことではない。どうして女子にはスカートという選択肢があるんだろうと、真剣に考えていたのだ。
 あのひらひらした布を自分もつけてみたい。たしかスコットランドでは男でもスカートを履くと前にテレビで観た。日本でも普通になればいいのに。
 本当はスラックスじゃなくスカートのほうが良かったと言ったら、彼女は引くだろうか。

 トイレの個室に同性と二人きり、なんて経験は初めてだ。
「よし。できたよ、秋」
「……ほんまに?」
 怖くて目から両手を外せない。耳たぶには痛みより違和感があった。
「な、痛くなかったやろ」
「うん」
 恐る恐る両手を下ろすと、ピアッサーをしまう楓の頭頂部が見えた。黄色いビニール袋がガサガサ音をたてる。
「安定するまでは透明ピアスつけててな」
「……なあ、なんでここまでしてくれるん?」
 正直、楓とは仲が良いわけではない。共通点は同じクラスということくらいで、友達も違えば性格も正反対だ。
「自分でピアス開けるの怖いなとは思ってたから、助かったけど」
 ありがとう。感謝の言葉を投げかけると、顔を上げた楓はにやりと笑った。
「なんでか、教えたろか」
 そのまま、風穴が空いたばかりの耳に口を近づけて。
「秋の初めて、もらいたかったから」
「えっ」
「なんてな」
 そう言い残して、楓はあっという間に個室を出ていった。ビニール袋のガサガサいう音が遠ざかっていく。
「びっ……くりした」
 個室の鍵をかける。顔のほてりが覚めるまで、まだしばらく出られなさそうだ。

「もう少し肘を上げて……そうだ」
 まさか敬礼の仕方を教えることになるとは思いもしなかった。ため息を押し殺し、ぎこちなく敬礼する娘を見つめる。
「なあに?」
「大きくなったな」
 あたりまえじゃん、と笑った。

「警察だけは止めておけと、あれほどいったのに」
 娘が帰ったあと、リビングで茶をすすりながら愚痴っていると、向かいの妻が口に手を当てた。明らかに笑いをこらえている。
「なんだ」
「いえ。だってあなた、言ってることとやってることが違ったじゃない」
「ん?」
「事件があったら何日も帰ってこないし、朝と夕方のニュースは欠かさず録画してるし、今だって新聞を隅から隅まで読んでる」
「だからだよ。徹夜は当たり前だし、四六時中気の休まる時がない」
「でも、すごく楽しそうだった」
 ずず、とお茶を一口飲んだ妻は、こちらを見ずに言った。
「ずっと、ああこの人は仕事が大好きなんだな、と思ってたの。まるで警察の仕事に恋してるみたい。そんな父の背中を見てたら、憧れるのは当たり前じゃない」
 顔がゆっくりと熱くなるのが分かる。
 そっと新聞で隠した。

お題「ラムネ」2/2
 ビールを飲んだおっさんみたいな声を出して、サキは口を拭った。
「うまい?」
「うん。でもあれだな、ラムネは最初の一口がマックスだ」
「それはいえてる」
 カウンターの斜め前にあるベンチに座り、ちびちびと飲み始める。俺は作業に戻った。
 エアコンの最適な温度設定についてとか、昨日鬼のように降った雨のこととか。他愛もない話の途中、ふと沈黙が落ちた。
「聞かないのか」
 気がつくと口に出していた。
「なにを」
「なんで学校に来ないのか、とか」
 いってすぐに後悔する。そんなこと聞いてどうするんだ。学校に行けないのは俺の問題で、サキは関係ないのに。
 苦い気持ちで黙っていると、はっ、と鼻で笑う声がした。
「あんな場所、行きたいやつが行けばいいんだ」
 手が止まる。胸の奥のほうが熱くなって、慌てて咳払いでごまかした。
「そうか」
「そうさ」
 それからしばらく沈黙が続いた。蝉の声と風鈴の音が、やけに大きく聞こえはじめる。

お題「ラムネ」1/2
「なぜ君が?」
「婆ちゃんの代わり」
 ふむ、と呟き、サキは駄菓子で一杯の棚に目を向ける。切りそろえられた髪が肩の上で揺れていた。夏服のセーラーは真昼の海を思わせる水色と白。今の俺には眩しくて、そっと目をそむけた。
 本当は今すぐ逃げ出したい気分だ。でもそうしないのは、婆ちゃんに店番を頼まれたからに他ならない。俺にとって、婆ちゃんは大切な存在だ。多分、両親よりも。
「お婆ちゃんは?」
「病院。風邪」
 当たり付きガムの箱を開けて中身を陳列台にぶちまける。コーラ味とソーダ味を分けるのに没頭していたら、ん、という声と共に何かを頬に押し付けられた。
「つめたっ」
「これください」
 よく冷えたラムネ。水色で透明な瓶の中には、甘い炭酸とビー玉が入っている。頬についた水滴を拭いながら睨むけれど、サキはすました顔でラムネ瓶をカウンターに置き財布を取り出した。
「はい」
「まいど」
 ラムネは100円。一枚の硬貨をレジに突っ込んだころ、既にサキはごくごくと喉を鳴らしていた。一体いつの間に栓を抜いたのだろう。あれけっこう難しいのに。
「ぷはーっ」

お題「宇宙」2/2
 黒い髪の少年。私と同じくらいの歳。
「ここにいない方がいいよ」
 ふわふわ近づいてきていきなりそういった。なんて失礼な男の子だろう。私は顔をしかめ、できるだけ不機嫌そうな声でいう。
「なんでそんなこというの」
「愛してるから」
 口がぽかんと空いた。初対面の女の子に対して、まったく適切じゃないセリフ。
 私の肩がそっと押される。すると後ろに向かって体が動いていった。重力のない宇宙で、物は永遠に飛び続ける。理科の授業で先生が教えてくれたことが頭によぎる。
 ゆっくりと遠ざかる少年の笑顔は、どこか見覚えがあった。

 目を開けた瞬間、強く抱きしめられた。激しく身を震わせて泣くお母さんの声を聞いていたら、私もいつの間にか泣いていた。
 お父さんが事故で死んでから、私とお母さんは会話が減った。だからいなくなっても悲しまないんじゃないかと思っていたけれど、それは大きな間違いだったと思い知る。
 落ち着いてから母に宇宙で会った少年の話をすると、納得したように頷いた。
 それから話をした。宇宙が大好きな子供だった、お父さんの話を。

お題「宇宙」1/2
 手を伸ばしても空気すら触れない。それが心地よかった。
 私の周りにはなにもない。ただ広い暗闇と、宝石みたいな星たちが遠くに散らばっているだけだ。
 宇宙の夢を見るようになったのは、「あの日」の夜からだ。泣きつかれて眠ったら、宇宙空間にいた。以来、眠ると必ずこの場所に来るようになった。
 ここには私を可愛そうだと憐れむ人も、犬や猫もいない。他に生き物がいないというのは心細くて、同時にすごく安心だった。
 目を覚ましたくなかった。現実には辛いことばかりだったし、私が辛いと思っていることを知られてお母さんを傷つけるのも嫌だった。
 だからある時、目覚めるのをやめた。死ぬまで浮いていることにしたのだ。
 温かい暗闇の中にいると、一秒が永遠に、永遠が一秒に感じた。時間というものが私の頭からすっぽり抜けて、代わりに心地よい諦めに支配される。夜の温水プールに浮いているみたいだった。寂しくて、でも気持ちがいい。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。私の宇宙に、侵入者が現れた。

 噛むと、じゅわっと肉汁が出た。刻みネギの塩気と肉の旨味が舌の上で踊る。こんなに噛みごたえがある肉を食べたのは初めてだった。ママはいつもハラミとか、柔らかい部位を僕に食べさせてくれていた。子供扱いされていたんだな、と今になって思う。
「どうだ、うまいか」
「うん」
 よくかんで飲み込んだあと、ビールを飲んでいる父に聞く。
「これって、牛のどこの肉なんですか」
「ん」
 べ、と舌を出される。最初はからかわれているのかと思ったけれど、すぐに違うとわかった。まだ会って数日だけれど、この人は子供を変に子供扱いしない。
「舌?」
「そう。名前は牛タン」
 網の上でじゅうじゅう音を立てる肉を見つめる。カルビもロースも牛の体から切り取られたものだとは知っていたけれど、そこまで嫌悪感はなかった。でも牛タンは違う。なんだか生々しい。舌を切られた牛を想像して、顔をしかめた。
「ほら」
 新しく焼けた牛タンがレモン汁の皿にのせられる。一瞬躊躇したけれど、覚悟を決めてネギを乗せ、口に入れた。
 舌の上で舌の旨味が弾ける。やっぱり美味しい。
 思わず笑うと、今日はじめて彼が微笑んだ。

お題「くノ一」2/2
「なぜ、死なないのです」
 眉を寄せる女に答える。
「いい毒を使っているな。ここまで純度の高いトリカブトを嗅いだのは久しぶりだ」
「なるほど。あなたも毒使いですか」 
 一瞬で部屋の空気が澄んだ。
「毒が通用しないとあっては、私に勝ち目はありませんね」
 そう言って目を閉じた女の足は枷で戒められていた。恐らくは無理やり従わせられているのだろう。私と同じように。
「一緒に逃げないか」
 気がついたら言葉が出ていた。
「そろそろ雇い主にうんざりしていたんだ」
 彼女はしばらく思案げに黙っていたが、やがてたおやかに微笑む。

 その日。二輪の毒花が闇に溶け、消えた。

お題「くノ一」1/2
 足を踏み入れた刹那、なぜ男たちが失敗したのか腑に落ちた。
 座敷の中央に敷かれた布団の上にしどけなく横たわる女。長髪は乱れ、襦袢の間から肌が覗いている。花の香が匂い立つような女だった。
「私を殺しに来たのでしょう。でも、その前にどうか私と一夜」
 呟いた女は、媚を絡めた視線をよこす。それをため息で押し返した。
「悪いが、それは通用しない」
 頭を覆っていた頭巾を外す。肩までの髪がぱさりと落ちた。
 女は目を見開いた。そしてすぐに細められる。
「では、すぐ終わらせましょう」
 紫の霧が女の口、肌、毛穴から吹き出し、あっという間に部屋を満たした。忍術「毒霧」。どんな屈強な忍びでも即死する技だ。……ただ1つの例外を除いて。

お題「焼肉」2/2
「だから竜の子供は決して狩ってはいけない。匂いを辿って親が地の果てまで追ってくるぞ……っすよね? ガキのころに散々聞かされたっすよ」
「それがどうかしたのか?」
 勇者を見つめ、僧侶が口を開く。
「この竜を狩るべきではなかったのでは」
「どうして? だって、この竜は明らかに大人サイズだったじゃない」
「これを見てください」
 僧侶が指したのは、太ももの中央に生えた赤い突起だった。
「ついさっき思い出しました。これは魔素を閉じ込めた宝石で出来ています。竜の子は、成長するにつれてここから魔素を摂取しながら大人になるのです。つまり」
 僧侶が一瞬口を閉じた。すでに卓は静まり返っている。
「このドラゴンは」
 突然床が揺れた。尋常ではない振動に人々は悲鳴をあげる。料理もろとも食器が砕け、壁にかかったフライパンがいくつも落ちた。
「一体なにが、」
 魔法使いの言葉は途中で途切れる。目を見開いて一点を凝視する彼女の視線を追った勇者は、悲鳴をあげそうになるのをかろうじてこらえた。
 酒場の窓に、巨大な目が覗いている。
 数秒後、炎が全てを飲み込んだ。

お題「焼肉」1/2
 酒場は久しぶりに活気にあふれていた。ドラゴンを倒した勇者たちが、獲物の肉を焼いてほしいと持ってきたのだ。
 おこぼれにあずかろうとする者、純粋に好奇心で集まった者たちが見守る中、勇者一行の卓に大皿が乗せられる。竜のもも肉に香草をすり込んで焼き上げた料理は、まだじゅうじゅうと音が鳴っていた。周囲からつばを飲む音が聞こえる。
「なんだか申し訳ないわね。別に悪い竜ってわけでもなかったのに」
 魔法使いの言葉を聞いて、剣士が豪快に笑う。
「なあに、我ら強者の前に現れたこ奴が悪いのだ。よく言うだろう? 弱肉強食、とな」
「そうそ、姐さんは優しいっすね」
 弓兵がにやにや笑う横で、勇者が杯を掲げた。
「自然の恵みだ。感謝して頂こう」
 皆が舌鼓を打つ中、ただ一人僧侶だけが押し黙っている。
「どうしたの? 料理が運ばれてから顔色が悪いけど」
「食わないならもらっちゃうっすよ?」
 僧侶は顔をあげると、震える声で話し始めた。
「竜の親子の話、ご存知ですか」
「おお、聞いたことがあるぞ。確か、ドラゴンの親は子がどこにいても居場所が分かるのだったか」

 バス停で夕立を眺めていたら、女の子が飛び込んできた。
「ごめん、ちょっと雨宿りさして」
 別に僕の住処じゃないんだから許可をとる必要はない。
 彼女はびしょ濡れになった麦わら帽子を外して長い髪をかきあげる。目が合うとにっこり笑った。
「誰かと待ち合わせなん?」
 違うけれど、それを伝える術はないので黙ってひげを揺らす。
「私は待ち合わせだったんよ。東京行った彼氏が、久しぶりに帰ってくるいうから」
 これ昔彼からもらったプレゼント、と麦わら帽子を振った。
 人間は聞いてもいないことを喋るから苦手だ。さっさと逃げ出したいが、雨で毛皮が濡れるのも癪なので仕方なく留まる。
「急に仕事が入ったから会えないって連絡が来たんは、帰りの新幹線の中。もっと早く知らしてくれとったら、雨に打たれることもなかったのに」
 やんなっちゃうよね。と同意を求められても困る。しかも泣きそうに歪んだ顔で微笑まれるとさらに困る。
 困り果てた僕は、飛び上がって麦わら帽子を引ったくった。
「あっ」
 さっさと忘れちまえそんな男。
 雨の中を走りぬける。帽子は太陽の匂いがした。

「そろそろ教えるべきだ。俺たちが本当の両親じゃないこと。そして──」
「やめて!」
 声が薄暗い部屋に反響する。
 画面には白一色の部屋が映っていた。ベッドに寝転んで絵本を読む少女の服も、同じように白い。
「あの子は私の子よ」
「君の気持ちは分かる。細胞の培養からずっとあの子を見守ってきたんだから」
「それだけじゃない」
 少女は静かにページをめくっている。
「もし本当のことを知ったら、きっと絶望するわ」
「それは君の方じゃないのか」
 動きを止めた。
「……そうね。本当のことを告げて、あの子に拒絶されるのが怖いの」
「俺もだ。だけど一番怖いのは彼女だろう。宇宙でたった独りの人間なんだから」
 彼の触手に自分の触手を絡めながら、静かに頷いた。
 真実を告げる時が来たのかもしれない。

(いつになったら本当のことを教えてくれるんだろう)
 少女はほっぺたを膨らませる。明らかに自分とは違う両親の体を見れば、自分が他種族であることは一目瞭然だった。
(たとえ私と同じ種族が一人もいなくても気にしないわ。だって)
 私はパパとママのこと、とっても愛してるんだから。 

お題「氷」2/2
 なめらかな白っぽい体。開かれた眼球は予想よりも大きく、どこか憂いを含んでいるようにみえる。2つの眼球の下の方には横一線に切れ込みがあった。恐らくは音を発する器官なのだろう。
(これが、人間)
 思考が波打ち、外装の温度が上がる。こんな状態になったのは生まれて初めてだった。
 氷が溶かされ、中から「それ」が取り出される。当初の予定では組織を採集してコピーを培養するつもりだった。これほど長い年月が経過しているのだから、生命活動を継続しているはずがない。
 ところが予想に反し、それはゆっくりと体を起こした。大きな眼球がこちらを真っ直ぐにとらえている。私はもちろん、チームの仲間も動きを止めた。
「こんにちは」
 音が広大な空間に反響する。どんな意味を含んでいるのかは分からない。それでも意思疎通しようとしてくれているのが分かり、私の意識は歓喜に震えた。
 それが再び音を発する。
「私の名前はポッパーです。携帯ショップにようこそ。機種変更ですか? 契約の更新ですか?」

お題「氷」1/2
 かつてこの星を支配していた「人間」という種族について、現在分かっていることは3つしかない。
 1つ、電波ではなく音を使って意思疎通をはかっていた。
 2つ、我々とは違い、白や黄、茶など、色とりどりの体をしていた。
 3つ、眼球と呼ばれる感覚器官で色や風景を認識していた。 
 「中枢」の行き過ぎともいえる規制によって、人間についての情報はほとんど出回っていない。地球を滅ぼした愚かな種族など忘れるべきだ、というのが彼らの言い分だが、私は過去に学ぶことも重要だと思う。隠されれば隠されるほど興味は募った。どういった生命体なのか、どんな社会を築いていたのか。放射能に満たされた大気で、どうやって生きていたのか。
 だからこそ、今回の探索チームに選ばれたのは幸運だった。第六次氷河期に氷漬けになった都市の発掘。外装強化体に意識を移し、巨大な穴を降りていく。
 現れたのは氷の世界だった。両側にそびえ立つ碧い壁。氷の中にかつての文明の名残がある。しばらく進んだ私は、ある一点に意識が釘付けになった。白一色の建造物の中で、まるで忘れ去られたように佇む「それ」に。

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