MasagoKazyoshi @MasagoKazyoshi@pawoo.net

鉄のフライパンを洗えだの洗うなだの、一体どっちなんだよと迷うような奴に、料理をして頂きたくはないものである。清潔な道具でなければ美味しい料理は作れない。力づくで洗うと、鉄のフライパンは汚くなるのである。無論、洗わなければ不潔そのものである。

真っ黒な鉄のフライパンつうのは、あれは人類の英知が詰まったアーティファクトなのである。手入れを正しく。鉄のフライパンの手入れとはつまり“黒錆と油の酸化重合膜を保護しつつ"清潔を保つことにほかならない。おかしなことをせず、当たり前に使うのが大事なのである。

今どきのステンレスフライパンにフッ素ポリマーがコーティングされてるのは、ステンレスだと油膜が喰い付かないからってだけの話で、真っ黒な四酸化鉄を身にまとった鋳鉄のフライパンなら、黒錆ががっちり油の酸化重合膜をホールドしてくれる。
真っ黒な鉄というのはあれ、表面をびっしり黒錆に覆われている状態であって、本来の鉄ってのはご承知のとおり銀色をしている。赤錆が付く前に黒錆で覆ってしまえば、赤錆を寄せ付けないって仕組みなのよ。そこに油の酸化重合膜をコーティングすれば、無敵ってわけ。
赤錆はあれ見た目からして分かる通り、黒錆(四酸化鉄)とは種類の違う酸化鉄(酸化第二鉄)なので、確かに油は食いつくけれども、錆そのものがぼろぼろ剥がれちゃうんだよね。つまり、鉄はどんどん侵されちゃうから、フライパンに赤錆を浮かせてはダメだ。

油の酸化重合は、そりゃ化学反応というやつなんで、当然ながら温度が高ければ反応は促進される。炎の熱と光で、フライパンの上の食用油はどんどんポリマー化する。神経質になりすぎるのも良くない。

鋳鉄のクソ重いフライパンを、料理の後アホみたいに時間をかけて、強力な洗剤使ってゴシゴシやるのは、しんどい上にフライパンをダメにする。フライパンの表面には、丁寧に扱えば500年保つポリマー膜が形成されているのである。
油絵の具の乾く仕組みを知ってる絵かきなら、鉄のフライパンの扱いも要領を得ているものなんである。「鉄のフライパンは“ごしごし”洗うな、“強力な“洗剤で洗うな。清潔を保て」ということであるから、料理の後のフライパンは、(取り敢えず)洗いなさい。

そこで、フライパンのシーズニングである。結局油の膜ができるというのは、酸化重合ポリマーが形成されることを云うのである。500年は保つ頑丈なポリマーを、わざわざこそげ落とすのは阿呆のすることである。滑らかなポリマー膜は焦げ付きを起こさない。
つまり、巷間言われる「鉄のフライパンは洗うな」とは、「油の酸化重合膜を落とすな」ということであり、油が溶けるような洗剤やら、研磨剤やらで処理をするな、ということである。料理のあと、清潔を保つためにサッサッと中性洗剤で撫でてやるのは「洗う」という範疇に入らないということなのである。

油絵の具の乾く機序は、水分が抜けて乾燥するわけではなく、練り油が光と反応して酸素と重合し、ポリマーを形成するから乾くのである。一度酸化重合した膜が形成されれば、油溶性の溶媒を使わぬ限り、500年はゆうに保つ頑丈さである。
揮発性の油であれば、なるほど揮発して跡形もなく乾くという事になるけれど、食用油でもやはり基本的には酸化重合して膜を形成するのだ。絵の具に限らず、油が乾くというのはこういうことなのだ。

僕は絵を描くに際して真の意味では辛いなどと思ったことはないが、実に些細な表層部分ではいつもつらいだのめんどいだのブツブツ云う。というのは先に書いたとおりだが、「野郎、ぶっ殺してやる」みたいな気持ちを込めてしまったことだってある。実際、お絵かきにあたっては感情もテクニックやからな。

僕が真の意味では絵画制作に対して辛いなどという感情を抱いたことがないので(制作中はしょっちゅう辛いと言ってるけれど)、『辛くならない絵の描き方』言われてもピンとこないというのは一つあるわね。お絵かきが楽しいのは当たり前やんけ、という気持ち。
傲慢なことを嘯かせてもらうと、僕は「絵を描くのが辛いと思うのは不純な態度だ、他人の目を気にするのなら、お喋りでもしてりゃいい」「辛い奴は絵を描くな、19世紀でもあるまいし」という意見。
人の目を気にし出すんなら、せめてお絵かきを商売にしてからや。趣味の段階で人の目どうこう言うのは、全く間違っとる。

件の書籍に書かれた「エロにはうかつに手を出すな」という理由が、「既存のファンの失望を招きかねないから」ということだが、既存のファンが離れるのがそんなに怖いのかね?勧めてるのはお絵かきであって、お絵かき商売ではあるまいに。

『辛くならない絵の描き方』という書籍に、「エロにうかつに手を出すのは考えもの」とでもいうような記述があるそうだが、絵画表現(当然漫画絵を含む)は裸婦画に収束していくものであって、「エロには手を出すなよ」なんてつまらぬことを言っていると、みすみす表現の上達の機会を逃すことになりかねないと、僕なんかは思うわけだが。
何をどう言い繕おうがどうしようが、男性裸体画ではなく、「裸婦画」こそが人体表現の内絵かきに最も好まれる様式であるのは、歴史的に明らかなこと。「絵は薔薇を以て始まり薔薇を以て終わる」なんて格言は。近代の欺瞞である。

絵画における具象表現というまことしやかな嘘を吐くには、個人の特定を大宇宙から説き起こすような配慮が必要。
つまり「大宇宙の銀河系の太陽系の第三惑星の地球とかいう星の中にある日本国という政治集団の本州の近畿の大阪府河南町一須賀774-1のアドバンス阪南の513号室に住んでて、いま麦茶飲んでる真砂和好くん」とこう云ったあと、「で、これが大宇宙」てのが、具象絵画。

ヒトラー死んでない世界線もので僕の好きな作品は、ベタで相済まんがP.K.ディックの『高い城の男』な。話の進め方を筮竹(実際はコイントス)任せにして書かれたというだけあって、いい加減な現実の悪意のように見えるグダグダした終わり方が好きだ。
信長は死なない、どうやっても大成功ものと言ったら、本宮ひろ志の『夢幻の如く』でトドメを刺すでしょうな。ああいう駄法螺に爽快感を感じられないのは哲学的ゾンビだけではなかろうか。
公式にははっきり言わないし、そもそも我々のこの地球惑星とは違う世界ですよという作品なのだが、織田信長は死なないし坂本龍馬も死なないし、日本(に相当する国)は世界の一等国、ていうアニメがあるんですよ。……『ストライクウィッチーズ』シリーズっていうんですけどね。

著名人が上手いこと悲運を回避して、然るべき快進撃の大成功を延々と続ける、べたネタのマンネリズムって、キラキラと華々しくてテンポの良い嘘っぱちの連打連打で語られると、パンチドランカーの観る夢宜しく愉しくなっちゃうのよね、僕は。 

日本の漫画や文芸に限らず、世界中で「実はあの人死んでません」ものには人気が有る。大体、ヒトラーが簡単に死んでくれては、世界の(B級)エンターテイメントコンテンツが困ってしまう。
「実はあのひと死んでません」ジャンルで世界的傑作、大ヒット、バカ売れと云えば、新約聖書じゃろ喃。

坂本龍馬が暗殺されるのは許容するよ派ではあるものの、できれば巧いことアレしてナニなラストシーンでモヤッと明るい気持ちになりたい派にも所属しているよ。 

連載開始当時はそれなりに興味があったけれど、五巻を過ぎた頃から急激に僕の中でどうでも良くなっちゃった漫画がある。『へうげもの』っていう作品なんだけどね。簡単に云うと解釈違いってやつで、やっぱそういうのって読む気持ちをどうしても左右しちゃうよねえ。やっぱ雄途半ばで織田信長が本能寺に於いて暗殺されちゃうような漫画では駄目だ❗❗❗❗❗ 

表層的とでも第一義的とでもどうやって形容してもいいけど、要するにテクニカルな部分の事情説明だけ聞いて「欺瞞だ!」ちゅうて怒り出すお方が結構居られる。ただまあ、素人に深いところ説明すると、益々「欺瞞だ!」云うて怒り出さはるからなぁ。

美人画というジャンルが在るが、ありゃテクニックのある絵かきの陥る“魔境(悟りから遠ざかったものの堕ちる地獄)”じゃな。いやあ、くわばらくわばら。
僕はテクニックの足りない絵かきなんで、そもそも美人画方向に足を向けることもままならないから、単なる僻みで云うのだけど、美人画もそりゃ奥が深かろうよとは思うがテクニック見せてなんぼの絵やないやろ本来。
謙遜とか嫌味で「いやー僕技術力無いんでぇ…」みたいなことを言えるようになりたい。学会発表する若手研究者に「素人なので…」の枕詞付けて質問するように。

テフィフォンの録音形式は、音溝を刻むレコード形式で、ステレオ技術以前のものなんで今に残るテフィカセットは全てモノラルなのだけど、評判では音質は良いものらしい。ごつくてごろりとした印象のテフィカセットを、ドイツモダンデザインのプレーヤにセットして再生する姿は美しい。
ワイヤレコーダーやテフィフォン、はたまたドイツオリジナルのカーオーディオカセットデッキ等々、戦前から60年代にかけての独逸人はマジで逸ッてる変態オーディオマニアばっかりだ(まあ、タンクマニアも居ればヒコーキマニア、大砲フェチなど各種様々変態さんの取り揃えも豊富だったわけだが)。

画像は針金に磁気録音したワイヤレコーダーと、ビニールテープに音溝刻んだテフィフォン。