いつもの違う夏だけど、いつもの夏と同じように商店街の放送で囃子にコンチキチンの鉦の音を耳にする。夏は来た、涼しい顔して来やがった。暑がりにはいっそう厳しい今年の夏が、ごめんくださいと訪れた

食いしん坊かつ寝坊助である俺が、寝食を忘れて本を貪り読む時期がある。物語を浴びるほど食らいたくなるのだ。前のめりになって、ページを捲る指が止まらない。心が栄養を欲してるのがよく分かる。ご馳走みたいな小説を日がな読み耽る

新しい生活様式は、適度な距離感を許容してくれた。親しい(好ましい)人以外との密はなるべく避けたい、何なら公共の場所では静かにしていたい派の俺には息がしやすくなった。適切な距離感、大事。むやみに近づかれたくはない

よく自身に組み込まれた好きの判定ロジックを考察する。傍に近づかれても大丈夫か否か、その結果は一瞬で出る。俺が最も大事にしてる距離感で好意を測る。何をもって判定しているのか、何を好ましいと判断しているのか、ずっと自分の内面を観察をしてきた。そこから距離を起きたくなるほど自分が苦手なものも分かる。複雑なようで単純、単純と見せかけて複雑な好意ロジック

俺の心の平穏も色々な物事と絡み合って、天変地異のごとく、明日も絶対の安定が保証されているわけじゃない。明日何があるか分からないからといって悲観的になるつもりもない。心模様の移り変わりを見つめながら、備えあれば憂いなしと、色々な最悪に想像を巡らせて雨風を凌ぐ特別なものを拵える

俺の好きを手玉にとってほしい

せっかく出かけるなら、一度だけ、ちょっと行ってみただけが大きくひっくり返って、また行きたい、二度と三度ならず何度でもそこに行きたいと思わせられたい

気づけば6月は終わりだし、夏はとっくに始まってるし、jp鯖は辛うじてまだ息をしてる。ボーッとしてても、忙しなくしてても時間は過ぎていく。今がどんどん積み上がってく

誰もが心震わせる感動の名作なんてものじゃないけど、時々ふと思い返す映画がある。観た当時の出来事と共に思い出しては、あの日から何歩前に進めたかよく考える

会うだけで、こう、人の気持ちを変える人がいる。晴れの日みたいに。俺が勝手にそう感じてるだけだけど、晴れやかな気持ちにしてくれる人はとても貴重だ

朝シャワーとかいう行為、俺にとって至高でしかないし、それによって気分がオンにならないなら休むというくらい、一日の方向性を決める重要な儀式

せっかちをいかに攻略しようかと考えている

暢気にのんびりの旗印を手にいれようとしても、そのコーナーを俺は最高速で駆け抜けたいんじゃ!!!欲の方が遥かに強い

世界は秒で刻々と変化しているのに、ソレは細かくて気づきにくく、変化が目に見えたときにやっと慌てて腰を上げる。今をおざなりにしないの連続で、見えざる変化に立ち向かっていきたい

ドゥルミトル国立公園、見惚れてしまうな

いや、雨は鬱陶しいな〜と思うけど、それを超える楽しみに出会ってやろうという欲

今日が雨なら、雨ならではの楽しみを見つけることに、喜びを見出だしてる。雨のよかった探しの行為自体が今は楽しい

息も絶え絶え辿り着いた先で慌てて涼を摂取

人混みを避け目的地に急ぐ

「人」だったり「今」だったり、当たり前すぎて普段の生活の中に埋もれてしまいそうなそれらを、節目節目で手に握り直すのかなり大事だと痛感する